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  こんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。  その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。  これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。  これを戦力の放棄といいます。  「放棄」とは、「すててしまう」ということです。  しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。  日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。  世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。(1948年・文部省『あたらしい憲法のはなし』より)
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<Author> nobさん
《nobさんのProfile》
住所:北海道十勝(帯広市)
年齢:55歳
職業:介護老人保険施設事務長、社会福祉士、主任介護支援専門員(ケアマネジャー)
日本国憲法
 「もぐのにじいろえにっき」より
【第9条】 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
【第25条】 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
あたらしい憲法のはなし

 そこでこんどの憲法では、日本の国が、けっして二度と戦争をしないように、二つのことをきめました。
 その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戦争をするためのものは、いっさいもたないということです。
 これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戦力の放棄といいます。「放棄」とは、「すててしまう」ということです。
 しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。
 日本は正しいことを、ほかの国よりさきに行ったのです。
 世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。
      (1948年、文部省発行)
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 今日は広島原爆忌です。
 九条の会・東大などが主催して6月に開かれた講演会で、財界の重鎮・品川正治さん(経済同友会終身幹事)が、ご自身の戦争体験と平和憲法との出会い、今なぜ憲法9条を守る運動に参加するのかをお話しされています。
 原爆の日に、犠牲者を想い平和への誓いを新たにしました。


 品川正治氏が語る「私の戦争体験」
 私は1924年生まれで、この7月に84歳を迎えます。福沢諭吉の言葉を借りますと、一身にして二生を生きてるということでございます。最初の22年は大日本帝国の臣民として、後の62年は日本国憲法の主権者たる国民の一人として生きてきたわけです。
 私は召集令状を受けて、中国河南省の洛陽から西安にかけての戦争に行ったんです。私自身、擲弾筒を扱う一員として、非常に厳しい戦争を何度も経験しました。敵の迫撃砲の直撃を受けて3時間も4時間も戦線に横たわっていた経験もございます。

 戦争を語れない理由

 私は80歳ぐらいになるまでは、こんな形で自分の戦争体験を話したことはありません。私にはちょうど皆さんと同い年くらいの孫娘がおります。その孫娘に、戦争の話をどう伝えるかは、私の大きな大きな最大の課題であったのです。
 しかし、なかなか戦争の話っていうのは出来ません。出来ない多くの理由があるのです。
 一つは、私はあの日本の戦争のいわば悲惨さというのを、いろんな形を知ってる訳なんですが、私の戦争体験がおこがましくって言えないっていうほどの醜い戦争、戦場があった訳です。 
 ガダルカナル、ニューギニア、フィリピンのレイテ、インドのインパール、ああいう作戦に参加された方の前で「僕も中国で擲弾筒の投手として戦闘しておったよ、敵の弾をに当たって今でも破片が足に残ってるよ」なんてこと、おこがましくて言えないっていうことです。
 戦死された方は、戦死とひとくくりにされていますが7割から8割が餓死です。しかも、食べ物がなくて戦死したんじゃないんです。南方ですから、密林というのは道に生える緑のものがたくさんあります。しかし、それを探す気力、体力が無くなって、「ここでもう最期にしたい、さよなら」と言ったその日を戦死の日としているような訳なんですね。
 もう一つは、硫黄島、沖縄、サイパン、アッツ島、そういう戦場におった人々、この人たちは玉砕しか道はない。それを覚悟しながら毎日毎日戦っている。勝つなんてことは見通しゼロ、にもかかわらず戦闘を続けてこられた人の前で「私も戦争しましたよ」というようなことは言えないということです。
 ただ、もっと深刻な理由があるんです。それは「どうしてあなただけ助かったのか」と言われたら、絶対言えないんです。戦後60年以上、トラウマを抱えて生きてきた人に話してもらうのはすごく難しい。
 私自身も、はっきりとトラウマを持っています。中国の戦線、激しい戦闘の中で、10メートルそこそこしか離れていない隣の塹壕で、戦友の一人が「やられた」っていう大きい叫び声を上げたんです。私の壕にペアでもう一人の兵隊がいました。私が助けに飛び出そうとすると、首を激しく横に振って「今出たら殺される」。敵弾がやまずに飛んでくるからです。それで、私は見殺しにしてしまいました。
 戦後、戦友の母親が私のところへ訪ねて来て、「息子の最期を知っておられるのは品川さんだけだと聞いた。最期を話してくれ」と言われました。私は顔を上げることさえ出来ませんでした。そのトラウマというものを私としてはずっと抱き続けてきたわけです。
 しかし、本当の戦争体験を持っておられる方というのは、ほとんど亡くなられた。私は戦争の本当の体験っていうのを話す義務があるのではなかろうか、そういう気持ちを自分で打ち消すことは出来なかった。それで話すことにしたのです。

 日本国憲法との出会い

 私の場合、中国から仙崎に引き揚げたのですが、そこで、古いぼろぼろの新聞が全部隊に配布されました。それは、日本国憲法草案が発表された日の新聞でした。
 「お前達はこれから故郷に帰る。しかし、日本国はこの憲法草案がもう既に発表されて、これから11月の公布に向かって国会でも議論される。よく読んでおけ」ということで各部隊に配られたのです。
 それが、私の最初の日本国憲法との出会いでした。「品川、大きな声で全員に聞こえるように読め」と言われ、読み役を仰せつかりました。
 読み続けて第9条のところにいくと、全員が急に泣き出したんです。私たちは310万に及ぶ日本人の命を失い、2000万を超える中国の人達を苦しめ命を奪い、広島、長崎で瞬時にして20万近い人を失ったこの戦争、二度と戦争だけは戦争だけはしない、そういう生き方をこれから日本はせざるを得ないだろうと想って帰ってきたわけです。
 よもや憲法で「戦争を放棄、陸海空軍は持たない、国の交戦権は認めない」そこまで書いてくれるとは全く想像できなかった。そこまで読んだら皆泣き出し、私自身も読み続けることは出来ませんでした。

 戦争を体験して、私が一番はっきり悟ったことは、何のために敵を攻撃したのかと言うこと。それこそ、あっけにとられるような失望感を感じたのです。
 戦争というものは、考えてみると天災でもない、抽象的な国家が起こすものでもない、戦争を起こすのも人間、それを許さず止めることが出来るのも人間だ、これが私の一つの心情になりました。
 「人間の目で戦争を見る国」「人間の目で経済を見る国」これが私が終生望み続けたことです。
 しかし、もうわたしの年齢は、そういうことを実際に目で見る年代ではなくなりました。正直に自分のトラウマを告げ、また日本国憲法の持っている意味を告げ、若い皆さん方に声を託す以外に方法がないというのが私の現状です。
                (民医連厚生事業協「共済だより」2008.8.1より転載)  

※品川正治(しながわまさじ)さん
  東京大学法学部卒、日本興亜損保(旧日本火災海上保険)の社長、会長を経て、相談役。経済同友会副代表幹事、専務理事を経て、終身幹事。双日株式会社監査役。国際開発センター会長。
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 うれしいニュースです。先ほど届いた「九条の会メルマガ44号」で知りました。
 改憲の世論づくりの先頭に立ってきた読売新聞の世論調査で、1993年以来つねに、憲法改正派が反対派を上回ってきたものが、今回、わずかな差とはいえ逆転したそうです。
 読売新聞は社説で「憲法改正問題に正面から取り組もうとしない民主党の姿勢が、支持層の改正派減少をもたらす一因」などと分析していますが、私は、国民に犠牲を押しつける自公連立政権の悪政や、米軍・自衛隊の事件事故・不祥事が続発する中で、生活の安定と平和な社会を望む声が、国民の中に急速に広がっているからだと思います。

 以下、「九条の会メルマガ44号」からの転載です。

 4月8日、発表された「読売新聞」の世論調査で、画期的な結果が出た。読売新聞が過去に行ってきた憲法に関する世論調査(81年、86年、91年、93年以降は毎年)で、93年(改憲賛成50.4%、改憲反対33.0%)以来、15年ぶりに、改憲反対派が改憲賛成派を上回ったのである。改憲賛成42.5%、反対43.1%である。改正反対の理由の最多は「世界に誇る平和憲法だから」が52.5%(反対意見中、複数回答)を占めた。ここでいう改憲賛成派とは焦点の「9条」に限らず、環境など「新しい人権の付加」などを含め、憲法のいずれの箇所かを変えた方がいいという意見の人を指している。この意見は2004年にピークに達し、その時点では改憲賛成65.0%、反対22.7%となっていた。以降、この意見は年々減少傾向を示し、昨年は賛成46.2%、反対39.1%まで接近していた。
 第9条を今後どうするかについては、「厳密に守り、解釈や運用では対応しない」が23.9%で昨年より3.9%増、「これまで通り、解釈や運用で対応する」が36.2%で昨年より0.4%増加、計60.1%が改憲に反対か現状維持、「解釈や運用で対応するのは限界なので、改正する」は昨年より5%減で30.7%とほぼダブルスコアとなった。2004年以来の改憲反対派増の傾向は、ここにきて、憲法全般、9条の両指標とも、改憲派を追い越したのである。9条については、さらに別に第1項と2項に分けて、改憲の必要性が設問されている。戦争放棄の1項の「改憲」は12.5%、「改憲必要なし」は81.6%である。戦力不保持などの2項は「改憲」36.8%、「改憲必要なし」は54.5%であった。
 改憲派が減少に転じた境目の2004年は「九条の会」が結成された年である。決して偶然ではないと思う。(T)

 今週の十勝は朝の最低気温がマイナス15度と冷凍庫なみです。
 さて、憲法について、ファッションジャーナリストのピーコさんが書かれたメッセージを見つけましたのでご紹介します。 


peeko.jpg    私は、戦う

 私ってなんて脳天気で、おっちょこちょいなんだろう、21世紀になったら本当に戦争のない世紀になる。いや世界中の国が平和に向かって努力するような地球になるって思っていたのだから!
 21世紀になってから世界中の争い事がパンドラの箱を開けたように勃発しているじゃない。本当に なんてお気楽なのと、いつも自分に問いかけているのです。
 太平洋戦争の終わりに近い頃、この世に生を受けて、横浜の街の空襲の時には、祖父や母の背中にくくりつけられ、寝んねこ半天の上に布団をかぶり、その上から何杯もバケツで水をかぶって、火の粉が舞い飛ぶ火の海のなかを家族で逃げたというのです。
 安全な場所に着いておんぶを解かれても真っ赤な顔で泣きもしないので、両親が顔や体を叩いてやっと泣き出したので、生きているのがわかったという話を何度も聞いて育っているのです。
 小さな頃から戦争は恐いもの、人間の愚かさが起こすものと思っていました。
 世界中に戦火が広がっている中で、戦争を放棄する憲法を保持している国があるって大切なことじゃないかしら。戦争はいつでも弱い立場の人間ばかり苦しめているじゃないですか。
 私は毎年、石井好子さんの主催する「難民の子ども達を救うチャリティー」のシャンソンの会でお手伝いをさせてもらっています。
 もう10年はとうに過ぎたのに、難民の数は毎年増えるばかりです。難民キャンプで暮らす子ども達の、写真で観る”怯えたような大きな瞳”の奥を覗くのが悲しいのです。
 戦争を起こしている国の偉い人達はどんな大義を喋ったとしても、本当の姿は欲からの出発だと思っています。
 戦争を起こしたり、戦いを行うべきだという人達も世界中にいっぱいいます。
 そんな人達は戦争の悲惨さや欺瞞を暴かれることを極端に嫌います。戦争で得る利益や欲望が見えてしまうからなのです。どんな綺麗事を言っても究極は醜いものなのです。戦火のない地球を作るためにこそ戦います。 
                      (「いつでも元気」2008年1月号より)


 
今朝(2007.8.8)の北海道新聞のコラム「卓上四季」から引用です。 


 米海兵隊員だったアレン・ネルソンさん(60)はベトナム戦争で敵兵や村人を殺した。村人が森に逃げても簡単に見つけられた。何日か待てば子供が飢えて泣くからだ。遺体は男女、子供に分けて山と積んだ。
 ある日、逆に自分たちが攻撃された。逃げた壕の中で村の女性がおびえている。やがて信じられないことが起きた。女性が出産を始めたのだ。殺し方ばかり教わったネルソンさんは助け方を知らない。それでも介助し、湯気の立つ赤ん坊が手の中に生まれ落ちた。
 温かみを感じた次の瞬間、ネルソンさんは変わった。「ベトナム人も人間だ」。戦争を憎み始めた。いま日本各地で戦争反対を訴える。この体験も札幌市内の「九条の会」が招いた講演で語ったものだ。
 原爆が落とされた広島のビルの地下室。負傷者たちがうめく暗闇に「赤ん坊が生まれる」と声が聞こえた。どうしたらよいのか。みな自分の痛みを忘れ気づかった。
 うめいていた重傷者が言った。「私は産婆です。私が産ませましょう」。子供は生まれ、産婆は血まみれのまま死んだ。 <生ましめん哉、己が命捨つるとも>。自らも被爆した栗原貞子さんの著名な詩「生ましめん哉」である。
 呼吸をし始めたばかりの小さな命が、命を奪う戦争の虚無を告げる。異なる戦いで異なる人種が感じた思いは共通したものだ。それは、生きとし生けるものへの賛歌でもあろう。
 (c.北海道新聞)



 6日、日本共産党の志位和夫委員長が国会内で記者会見し、自衛隊の「情報保全隊」による大規模な国民監視活動を詳細に記録した内部文書を独自に入手したとして内容を公表しました(写真)。
 (内部文書全文は、
  http://www.jcp.or.jp/tokusyu-07/19-jieitai/index.html の下の方に掲載されています)

 今回明らかになったのは、北海道旭川市の自衛隊が初めてイラクに海外派兵された2003年1月前後の市民の集会や反対行動の様子を詳しく報告したもので写真も入っています。
 実は私も、その直前の12月に、旭川市役所前で行われた「自衛隊派兵反対全道集会」に職場の仲間と参加し、プラカードを持って中心街をデモ行進しています。今回の資料はたまたま12月分が欠けていますが、私が参加した集会も間違いなく監視されていたでしょうし「海外派兵ハンタ~イ」とシュプレヒコールを叫んでいる私の姿もしっかり撮影されていたのではないでしょうか。

 久間防衛相は国会での追及に「(監視の)どこが問題だ」と開き直り、集会やデモの参加者を撮影することも「当然の活動だ」「マスコミだってやっている。自衛隊が撮影してどこが悪い」と啖呵を切りました。

 久間大臣がいかに強弁しようと、これらは違法行為です。
 1969年に最高裁が憲法判断を下しています。デモ行進の様子を警察官が写真撮影したことについて最高裁は、「個人の私生活上の自由のひとつとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態を撮影されない自由を有する。少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法13条の趣旨に反し、許されない」と判示して肖像権を認めているのです。
 警察官であっても、具体的な犯罪行為がなければ写真撮影は許されていないのに、自衛隊なら何をやっても許されるとでも言うのでしょうか。

 さらに問題なのは、反戦平和集会だけでなく、「年金」「医療費」「春闘」など国民生活を守るための集会や運動までも監視対象にしているという事です。いったい、年金や医療費のどこが「防衛機密」に当たるのでしょうか。
 私たちはずっと以前から、「医療・介護制度改善」「看護師ふやせ」と街頭署名や集会を行っています。帯広にも自衛隊第5旅団がありますので、あるいは密かに監視されていたのかも知れません。
 まるで戦前の「憲兵」の復活のようで背筋が寒くなります。 

 だからこそ、憲法9条は改悪させてはいけないと強く思うのです。 



 情報保全隊 
陸海空の三自衛隊ごとに設置された防衛大臣直轄の情報部隊。主な任務は防衛秘密の保護と漏えい防止とされています。二〇〇三年三月に、それまでの「調査隊」を再編・強化して発足。調査隊では別個だった中央と地方の指揮系統を三自衛隊ごとに統合し、より中央で状況把握、運用が可能になるようにしました。隊員数は陸上自衛隊を主力とし、陸海空の三自衛隊で約九百人とされています。 (日本共産党ホームページより転載)
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戦争が始まりそうなときに
「戦争反対!」と言うのはちょっと難しい
味方があまりいなくなるから

戦争が始まってしまったら
「戦争反対!」と言うのはとても難しい
ひとりぼっちになる覚悟がいるから
     (2005.1.26 (C) 早瀬沙樹
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